ヒヴァ

中世にタイムスリップ​した気分が味わえるヒヴァ

ウズベキスタンの西部ホラズム州に位置する世界遺産の街ヒヴァ。
古くからカラクム砂漠への出入り口として発展したといわれています。
1592年からヒヴァ・ハーン国の首都となり、1842年に町がイチャン・カラ(内側)とディシャン・カラ(外側)に分けられました。現在、観光地とされているイチャン・カラはヒヴァ・ハーン国の宮殿のためのエリアで高級官僚や裕福な商人、聖職者が住んでいたとされ、内側と外側の城壁の中間に人々が今でも暮らしています。
現在残る建築物は17世紀以降のものがほとんどです。
1969年イチャンカラは博物館都市として指定され、1990年ウズベキスタンで初めて世界遺産に登録されました。

小さいイチャン・カラの中には20のモスク、20のメドレセ(マドラサ)、6基のミナレットが残り、それらを観光しながらゆっくり1日をすごすのも良いでしょう。
ウズベキスタンの中でも独特なホラズム文化は料理やダンスなどからも感じることができます。

ヒヴァの見どころ

クフナ・アルク

ヒヴァのイチャン・カラの西門に隣接した「古い宮殿」という意味のクフナ・アルク。17世紀に建てられた宮殿で、執務室、謁見室、モスク、ハーレムがあったほか、火薬工場や造幣所、兵器庫などもあったそうです。当時は絹のお札が造られていたことも有名です。

アイヴァンのタイルは見事なもので、壁面は七宝タイル、天井は赤、黄、緑、黒などカラフルな模様となっています。

クフナアルク内から城壁の一部に登ることができます。東に向けてイチャンカラ内の素晴らしい景色が見え、夕日鑑賞にも最適な場所です。

6本の柱に支えられるイスラム建築

カルタ・ミナル

西門から入るとすぐ目に入る青くて短いミナレット、「カルタ・ミナル」。カルタとは『短い』という意味です。
1852年、ムハンマド・アミン・ハーンが中央アジアで最も高いミナレットを建てようと建設が始まりましたが、中断され、高さ26m、直径14mの基礎部分が残りました。ムハンマド・アミン・ハーンのペルシャ遠征での死により、建設が中止となってしまったそうです。

中断された理由は伝説があり、「ブハラを見張るために高い塔を作ろうとしたが、ブハラ王にバレてしまい、職人さんを買収して工事を阻止しようとした。そのことに怒ったアミン・ハーンが職人を殺害してしまった。」とも言われています。
夜にはライトアップされます。

ヒヴァの水色のカルタミノルとアミン・ハン・メドレセ

ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ

ヒヴァのイチャン・カラの西門を入ってすぐ右手、カルタ・ミナルの隣にあるムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ。
ムハンマド・アミン・ハーンの命令で1852年に完成したメドレセです。当時は99人の学生が学んでいたとされています。
広さは71.7m×60m、中庭の広さは38m×38mあります。二階建ての建物には全部で125の部屋があります。
ロシア時代に入り神学校として使用されなくなりましたが、現在はホテルとして利用されております。遺跡内のホテルとして大変人気があります。

ヒヴァのムハンマド・アミン・ハン・メドレセ

​タシュ・ハウリ宮殿

ヒヴァのイチャン・カラの東門近くにあるタシュ・ハウリ宮殿は1830年から1838年に建設されました。

タシュとは石、ハウリとは宮殿という意味ですが、アラクリ・ハーンによって建てられた宮殿で、ヒヴァの中で最も豪華なタイルや柱で飾られており、「新宮殿」とも言われています。

謁見室や儀式の空間、パーティ会場、ハーレムなどに分かれ、中は迷路のような通路で各部屋を回ることができます。
2階建ての部屋がハーレムで、青い幾何学模様のタイルで装飾された大小163もの部屋があります。南側の大きめの部屋がハンの執務室と4人の正妻の部屋で、かつてアラクリ・ハーンには4人の正妻と40人の美女がいたという話もあります。

ヒヴァのタシュ・ハウリ

ジュマ・モスク

10世紀頃には中央アジアのモスクとして最大規模だったと言われているジュマモスク。現在の姿は18世紀に修復され建てられたものです。モスクのなかに入ると薄暗いなかに、213本の木の柱が建っており、それぞれの彫刻一つ一つに歴史を感じるモスクです。広さは55×46m、高さは5mで、3.15mの間隔で柱が立っており、この間隔と本数は、説法者(イマム)から全員の顔が見えるように、計算されて決められたそうです。

柱のうち4本が10-11世紀、25本が17世紀までの柱です。
中で女性が手編みの靴下を編んでいたりと、時間もゆったりとした空間です。
天井から漏れる光加減がさらにモスクを美しく映し出しています。

木の柱で支えられるヒヴァのジュマモスク

イスラーム・ホジャ・メドレセ/ミナレット

45mの高さを誇るヒヴァで最も高いミナレットと最も新しいイスラム・ホジャ・メドレセ。
1910年にヒヴァの最後のハーン、イスフェンディヤル・ハンの大臣イスラム・ホジャによって建てられました。

イスラム・ホジャは、国を発展させようとロシアを訪れてはヨーロッパ式の学校、病院、郵便局などを作ったそうですが、非常に人気がでたため、ハーン(王様)と聖職者たちの陰謀で生き埋めにされて殺されてしまったそうです。

​ミナレットが大変印象的ですが、メドレセはそれほど大きくなく、42の小部屋があります。他のメドレセとは異なり、中庭もありません。
ミナレットは118段の階段で上に登ることができ、ヒヴァの街を見下ろすことができるおすすめスポットです。

ヒヴァの一番高いミナレット
ヒヴァのイスラームホジャメドレセ

パフラヴァン・マフムド廟

大きな青いドームが特徴的な建物、パフラヴァン・マフムド廟。
パフラヴァンとは『英雄』『強物』という意味です。

かつて庇護者として尊敬されていたパフラヴァン・マフムドが祀られていますが、彼は毛皮職人、詩人、哲学者、そししてクラッシュというウズベキスタンの武道の名手だったため有名となり、強物のパフラヴァという名がつけられたそうです。

最も豪華な廟がパフラヴァン・マフムドの物、そして正面の墓石はムハンマド・ラヒム・ハーン、その他14世紀から20世紀のハーンの親族も祀られています。聖人のそばに祀られると来世に幸せになれるという言い伝えで彼の墓の周囲には多くの墓ができたそうです。
中はひんやりと涼しく、一面に覆われたタイルがとても綺麗です。

ヒヴァのパフラヴァンマフムド廟

アラクリ・ハン・メドレセ​

1830年から1840年にかけて建てられたアラクリ・ハーン・メドレセ。ヒヴァのイチャン・カラの東にあります。
アラクリ・ハーン・メドレセと当時にキャラバン・サライとバザールが建てられました。

メドレセの入り口はレストランになっています。また隣接するキャラバンサライだった建物の中はお土産屋になっており、ヒヴァ特産の靴下やスザニ刺繍などのウズベキスタン雑貨を買うことができます。

ヒヴァのアラクリハンメドレセ
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