ブハラ、文化と知の中心を訪ねて ~豊かなイスラーム文化を知る~

イスラームが中央アジアに伝わったころから栄えていたブハラ。その後16世紀から20世紀初めにいたるまでは、ここを首都とした「ブハラ=ハン国」が栄えていました。

ラビハウズと呼ばれる中心部 池のほとりでお茶をするのが人気

このブハラ=ハン国は19世紀末にロシア帝国に敗北することになりますが、その際にも「ムスリムたちを怒らせてしまう」という理由から首都ブハラは占領されなかったとされています。ブハラの豊かなイスラーム文化と歴史がわかるエピソードです。
高校世界史に載るほど著名なイスラーム学者も多数輩出しているのですが…その理由はすぐにわかります。

 文化遺産の立ち並ぶ旧市街 水路の巡る”学術都市”

旧市街を流れる水路 人々が暮らすエリアまでつながっている

ここでは多くの文化遺産を巡ることができます。

多くの場合、建物の入り口付近に、金色のプレートがついています。

そこに書いてあるのは建物の名前と、ウズベキスタン政府の保護下にあるということ。言わば、重要文化財です。

建物入り口付近についているプレート
ウズベク語、ロシア語、英語で建物の名前と政府保護下にあることが書かれている

そうして文化財を見ていくと、ある単語を目にしたり、聞く機会がたくさんあると思います。

それが、「メドレセ(マドラサ)」です。

メドレセとは、イスラームの神学校のことです。学校と寮が一体化しており、多くの場合大きな門と中庭、2階建ての建物という特徴を備えています。

ラビハウズに面した大きなメドレセ、クカリデシェ・メドレセ

このようなメドレセはサマルカンドなどにもありますが、ブハラで特筆すべきはその多さ。

かつての学術都市、といってもよいくらいたくさんのメドレセが立ち並んでいます。

このような宗教と知の中心地であったからこそ、イスラーム学者が世界に送り出されていったのだと納得できます。

昔の学生生活に思いをはせながら、メドレセを見比べてみましょう。

 チンギス=ハンも見上げた、古の建築

ブハラ・ハン国の時代よりもっと前の遺産も残っています。

カラーン・ミナレット 下まで行けばその高さに驚くこと必至

その代表格がカラーン・ミナレットです。栄えていたブハラを一時荒廃させたチンギス=ハンの遠征。当時砂に埋もれていたいくつかの遺産は発見されなかったことにより破壊を免れましたが、このミナレットは当然、その高さにより目をつけられます。

ミナレットの下まで来たチンギス=ハンはこれを眺めようと上を見上げますが、そのとき彼の帽子が落ちてしまいます。帽子を拾おうと屈み、ふと再びミナレットを見上げたチンギスハンは気づきます。たった今、大軍勢の首領である彼が意図せず頭を下げて礼をしてしまったのです。

感心した彼は「自分に礼をさせた偉大な塔」としてこのミナレットを残すことにしたと言われています。

また個人的におすすめなのが、「Talipach gate」と呼ばれる門。

16世紀ころに街を囲っていた城壁の面影が残っています。

まるで何世紀もそのままのようなたたずまい

車道に面した表側は比較的綺麗に整えられているのですが、サーマーニー廟方面から回った裏側はかなり年季が入っています。表裏の意外なほどの高低差から、街の興味深い構造がわかります。
また近くの公園(サーマーニー廟がある)は落ち着いた雰囲気で、夕陽がきれいに見えます。

おなじみの足漕ぎボートも、ブハラの夕陽の前ではロマンチックな舞台に

 夜でも昔と同じ賑わいを感じさせてくれるおみやげ物屋街

一日巡り歩いた後は、ゆっくりご飯を食べてお土産を見てみましょう。

ブハラはシャシリクがおいしいことでも有名 見た目に反して重すぎないおいしいお肉

ブハラは「タキ」と呼ばれる昔のバザール跡や、入り口から奥までずっと続く歩道などにおみやげ屋がこれでもかというほど並んでいます。

日中に営業している名所を巡り、ご飯を食べ、20時過ぎになってもほとんどのおみやげ屋さんはまだ開いているので、夜にこれらのお店を巡るのもよいと思います。

ライトアップされた建物を見ながら、思い出の品を選んでみてください。

夜のおみやげ屋街 夕ご飯時を過ぎた後もまだまだ営業中

宗教と学術、イスラーム文化の豊かさを感じられるブハラ。

飛行機で多くの場合降り立つことになるタシュケントからは少し遠いですが、行けば大満足すること間違いなしです。移動やご宿泊などご不安な点がございましたら、SRP TRAVELまでお気軽にお問い合わせください。

関連記事一覧

  1. アイダルクル湖
PAGE TOP